J1ベガルタ仙台 トップチーム監督 渡邉 晋さん
プロフィール
渡邉 晋(わたなべ すすむ)さん。1973年(昭和48年)日の出町生まれ。
日の出幼稚園→本宿小学校→平井中学校に通い町内で子ども時代をすごす。
現役時代、東北の雄「ベガルタ仙台」のキャプテンを務める。読みと足の長さを生かしたプレーが特徴で、長身を生かした空中戦や、セットプレーからの得点も武器であった。ポジションをセンターバック。ヴァンフォーレ甲府時代は、GK以外すべてのポジションをこなすマルチプレーヤであった。J1ベガルタ仙台のトップチーム監督を務める。
経歴
- 1996年
コンサドーレ札幌 - 1997~2000年
ヴァンフォーレ甲府 - 2001年
ベガルタ仙台 J2.36試合、ナビスコ杯.1試合、天皇杯.1試合出場(1得点) - 2003年
ベガルタ仙台 J1.13試合、ナビスコ杯.1試合、天皇杯.1試合出場 - 2004年
ベガルタ仙台 引退 - 2009年
ベガルタ仙台 09年シーズン。念願のJ2からJ1への再昇格を果たす。
プレースタイル
読みと足の長さを生かしたプレーが特徴。長身を生かした空中戦や、セットプレーからの得点も武器であった。仙台ではポジションをセンターバックに固定。しかし甲府ではGK以外すべてのポジションをこなすマルチプレーヤであった。
インタビュー 2010年1月9日(土曜日)
1.日の出町について
Q.年にどのくらいお帰りになるんですか?
A.年に1回です。年末年始だけ帰ってきます。本当になかなか帰ってこれないですね。
Q.昔と比べて、今の日の出町はどう思いますか?
A.この変化には驚きですね。特にあのイオンモール。
2年ほど前でしょうか。ちょうどイオンモールが完成したころ、近所の秋川高校グランドで子供たちを教えていたときに、昔のことを引き合いに出してネタにしました。
2.現在の仕事について
Q.現在契約をしている「ベガルタ仙台」の名前の由来は?
A.仙台は、七夕が有名ですので、その主人公となる「織姫と彦星」の星、ベガとアルタイルに由来しています。
ベガアルタイル→ベガアルタ→ベガルタ…
といった感じです。
Q.「ベガルタ仙台」でのお仕事はトップチームコーチ。具体的にはどのようなお仕事ですか?
A.トップの選手が遠征に出ている間の残りの選手の指導や教育などを行っています。また、スカウティング(他チームの敵情視察を取りまとめ選手へ説明する仕事)などを行っています。
Q.大変なお仕事ですね。
A.いやいや。大変面白い仕事ですね。なにせサッカーが好きでやっている仕事ですから。
やりがいのある仕事ですよ。
Q.仕事で心がけている事や格言などは?
A.縁の下の力持ちとなることです。
私が現役生活を通して培ってきた経験やノウハウ、コーチとして身につけてきたスキルを生かし若い選手たちにすべてを伝えるために支える側として力を出し切りたいと日夜思い実行しています。
3.少年時代のことを伺います。
Q.少年時代はどんな子でした?また、好きだったことは?
A.結構ガキ大将でした(笑)。
そして好きなことは、サッカーでした(笑)。
Q.サッカーはいつごろから始めましたか?所属していたチームは?
A.実は、親が野球をやっていたこともあり、野球少年でした。
しかし通っていた本宿小学校の2年生のころ、バリオーレ日の出というサッカーチームが出来た事で、野球チームにいた子供が激減し、野球をしたくても出来ない状況になってしまったんです。
仕方なくサッカーを見に行くと、とても面白くて。その日のうちにサッカーに転向してしまいました。リフティングなんか始めてしまったり。
Q.当時のことで印象的だったことは?
A.まず、自宅が日の出団地の天辺にあるから、通う本宿小学校までの道のりで自然と鍛えられたことでしょうか。さらに平井中学校に進学すると、あのすごい階段ですからねぇ。
それと、小学生のチームで都大会3位になったことでしょうか。私がキャプテンで、原君が副キャプテン。
結構強かったんですよ。私たちの代は。全国を狙える感じでしたよ。
平井中学校の階段
Q.日の出町の、未来のサッカー選手に話しておきたいことはありますか?
A.自分の得意なことやできることを、しっかりとアピールできるようになろう。
どんなにすばらしいことが出来ても、恥ずかしがったり、アピールがうまく出来ないと、それで終わってしまうことになってしまいます。
4.現役時代のことを伺います。
Q.プロを志すきっかけ、いつごろからプロを意識?
A.プロを志すきっかけは、少年野球から転向したころサッカーのとりこになったこと。とどめは、やはりあの伝説の漫画「キャプテン翼」でしょうか。
本当にのめりこみましたね。
実はベガルタ仙台の現監督&コーチである「手倉森」兄弟は、キャプテン翼の立花兄弟のモデルなんですよ。
(で…伝説のスカイ・ラブ・ハリケーンですよね…!!?)
プロを意識したのは、大学進学のころでしょうか。
最初は、「僕はサッカーで生きてはいけない。将来は会社に入って…」と思っていたんですけど、ある大学の監督から、「サッカーで一緒に全国を獲ろう」といわれ火がつきました。
…でも、なんだかうまい話だなぁと思ってその大学に進学が決まっていた2人の友達に聞くと、裏で監督と話しが出来ていたようで…、でもそこで進む道が決まったわけです。ちょうど日本に「Jリーグ」ができる頃でした。自分の将来の目標。「選手で終わるのではなくて、いずれ指導者になりたい」と思ったのも、ちょうどその頃でした。
Q.選手として壁にぶつかった事ってありますか?
A.いっぱいあります。壁だらけでした。
壁の中でも、一番の壁は「けが」でした。
選手生命の終わりを決めさせたのも、けが(左ひざ)が原因でした。足を酷使するサッカー選手の職業病のようなものですから仕方ないのですが、現役の最後(2004年)にキャプテンを任されたときは、けがが原因でピッチに立てる状況ではなくなっていました。
(…しかしその期間がその後の人生に大きく影響してくるのです…)
Q.現役時代のサッカーポジションは?
A.センターバック(CB:中盤のゴールキーパー前)です。
Q.CBというと守備ですよね?
A.そうです。私、セットプレーが得意でした。
Q.現役時代に印象的だったことは?
A.プレーでの事。
ロスタイムにサイドからのパスをヘディングで決めた(ゴールした)ことです。あれは忘れられません。最高に思い通りのイメージで決められました。
5.コーチをめざして
Q.コーチをめざしたのはなぜですか?近くだと自分でプレーをしたくなったり、悔しくなりませんか?
A.私は、選手時代から最終目標が指導者でしたので、そういった気持ちにはならずに済んでいます。
キャプテンのころ…、あの時間が自分の気持ちを整理する時間でもありました。また、コーチになった最初の仕事はスーツで外回りをし、仙台の地下鉄で勤務先に通う日々はとても新鮮で、チームを支えてくれる人たちがこんなにも沢山いたのか、ということも改めて知りました。
選手時代以上に「チームを大切にしたい」と思う気持ちを、その頃の経験が与えてくれました。
Q.コーチの資格取得は大変ではありませんか
A.昨年の夏に、Jヴィレッジ(サッカートレーニングセンター)でA級の資格を取得しました。
前期後期に分かれた資格試験で、頭のほうは冴えていく感じでよかったのですが、体は悲鳴をあげていました。
後期の試験では、監督采配のテストがあり、1日で15試合を行うといったものがありました。
選手経験者は重宝され、その試合では14試合出場することになってしまいました。左ひざの古傷が本当に危ない状態になるほどでした。
6.今後について
Q.今後についてのお考えは?
A.Jの監督になるためにはA級の上位になるS級の資格が必要です。
今後はその資格取得を視野に入れながら、指導を続けていきます。
(S級取得は年間枠があり、また3ヶ月の講習期間を要し、海外研修を含める大変ハードなものだそうです)
そして、S級の監督資格を取得し、将来、ベガルタ仙台の監督になって闘うことが、ベガルタ仙台を支えている地域の皆さんや、ファンの皆さんへの恩返なのだと思っています。
Q.日の出町に住む皆さんや、将来のサッカー選手になる子供たち、そしてファンに向けて。
A.将来のサッカー選手になる子ども達に向けて。
自分の得意なことやできることをアピールできるようになろう。どんなにすばらしいことが出来ても隠していたりアピールがうまく出来ないと、それで終わってしまうことになってしまいます。
そして皆さんに向けて。
ベガルタ仙台は、距離こそ離れていますが、日の出町と気質・雰囲気が似た「仙台」の皆さんが作るすばらしいチームです。
皆さんの応援。よろしくお願いします。
Q.最後に、渡邉さんにとってサッカーとは何でしょうか?
A.はい。 サッカーとは、私の人生そのものです。
多忙のなか貴重な時間をくださり、本当にありがとうございました。
渡邉さんの今後の活躍を心から期待します。
2010年1月9日(土曜日) (談)渡邉 晋さん (聴)岸田 学・原 祐一
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