ふたつずか ものがたり・あごかけ いわ
二ツ塚ものがたり(ふたつつかものがたり)
大久野の玉の内と青梅との境をなす山中に「二ツ塚」という土盛りをした塚がある。この塚には悲しい話が伝えられている。
むかし、この山のふもとに家があり、一人の女が幼い娘といっしょにひっそりと暮らしていた。女はもともと体が弱く、娘も三才ぐらいであったので、くらし(生活)もあまり豊ではなかった。
そうこうしてるうちに女の体はだんだんと弱まり悪くなるばかりであった、そして疲れはてた女は、たびたび「早く死にたいよー、早く死にたいよー」と口ばしるようになった。しかし、近所の人たちにはどうすることもできなかった。
そのうちに女は、「たってのお願いです。私をこのままほうむ(葬)ってください」と悲しげな声で近所の人に頼んだ。
あまりに苦しそうなようすに近所の人も見かねて「それでは」と相談したあげく、大きなかご(籠)を用意して、これに病人を入れ、山に埋めることにした。この話しをかたわらで聞いていた娘は、
「お母さんがいくなら、私もいっしょに連れてって」
と泣きながらうったえた。そこでやむをえず、近所の人たちは二人を籠に入れ、峠の尾根に埋めてしまった。
それからのち、何百年もたってしまったが、不幸な親子二人のこの塚には、だれともなくそうじ(掃除)をする人があとをたたず、土盛りをなおす人もいて、ながくくよう(供養)されてきたという。
いま、この二ツ塚には、大きなサクラの木が生え、あたりはうっそうとしている。そして、近くの木の幹には、「古への 峠の道は 変われども 塚となりてぞ 今に残れり」の詩札が掲げられている。
おわり
あごかけ岩(あごかけいわ)
大久野の三ツ沢から御嶽山の旧道を登っていくと、山の中腹あたりに高さが約二メートルで大小三個の岩が並んでいる。このうち、いちばん大きい岩をあごかけ(顎掛)岩と呼び、やまとたけるのみこと(日本武尊)がえぞせいばつ(蝦夷征伐)の帰りにこの岩に顎をかけて、はるか遠く関東平野を見わたしたと伝えられている。
御嶽神社にある伝えにも「西南常陸(茨城県)を歴々、甲斐(山梨県)に至り、酒折宮に居る」、また「唯、信濃(長野県)越後(新潟県)は頗る未だ化に従わざれば、則ち甲斐より北転して武蔵(東京都・埼玉県)を歴て西碓日坂(碓氷峠)に向う」と記されている。
おわり
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