キツネ・タヌキの あとつき・シジミ ものがたり
キツネ・タヌキのあとつき
明治も中ごろ、長井のふごう(富豪)、古山安兵衛さんは、青梅鉄道(明治二十七年、立川~青梅間開通)を利用して、東京方面へ通うことが多かった。
この日も最終の汽車を、青梅駅を下車し、徒歩で、万年橋を渡り、吉野村から梅ヶ谷峠を登り始めた。頂上付近にさしかかるあたりに、「三ッ室沢」「辰道」というところがある。このあたりにくると不思議に異常を感じたという。
「どうも後から何かついて来るけはい(気配)がする。三メートルぐらいあとを」
安兵衛さんが歩くと、相手もカサコソと歩く。立ち止まると、相手もピタリと止まる。こんなことをくり返してようやく家に着いた。
ある晩も、十一時ごろだったろうか。いつものとおり後からついて来るようすなので、安兵衛さんは東京で買い求めたようもく(洋煙草)>に火をつけ、吸いながら峠を越えた。すると、それからはあとつきがなくなったという。
なお、この峠はむかしから鎌倉街道といって、多くの人が通行しており、いままでに九人もの人がここでな(亡)くなったという。
おわり
(注)少し前に、自動車のエンジンが停止する奇異な場所として、新聞紙上をにぎわしたこともある。
シジミものがたり
むかし、平井川の近くに、いじ(意地)の悪いばあさんが住んでいた。その隣りには、心のやさしい母と娘が住んでいた。
娘の母親は、眼がわるく、そのうえ病弱であったので、娘は家のことばかりでなく、母親の世話にも心をつくし、近所の評判であった。娘は隣りのばあさんのところへ仕事の手伝いに行き、わずかばかりの食べものをもらって帰るような毎日であったので、母親を医者にみ(診)せるよゆう(余裕)もなかった。
あるとき、母親の眼病にシジミがよくき(効)くと聞かされた。そこで、娘はなんとか母親にシジミを食べさせてやろうと思い、隣りのばあさんにお金を貸してほしいと頼んだが、ことわられてしまった。それでも、娘はくじけず、お金をためて母親にシジミを食べさせ、医者にちりょう(治療)してもらおうと決心した。
それからというもの、自分は食べるものもろくに食べず、つぼ(壷)のなかにお金をためはじめた。こうして、お金がたまり、娘はあすこそ、母親を町の医者に診せようと、このことを隣のばあさんに話し、仕事を休ませてもらうことにした。
しかし、その晩、母親の病気が急に悪くなり、すぐに亡くなってしまった。そして、娘も悲しみと看病づかれのため、母親を追うようにして亡くなってしまった。
意地の悪いばあさんは、娘が亡くなるとすぐに、娘が必死の思いでためたお金の壷を盗み出し、「ほとぼりがさめるまでは」と、自分の庭のすみに穴を掘って埋めた。
その晩、はげしい雨が降り、翌日の朝、ばあさんは心配でう埋めた壷を見に行った。すると、そこからは泉がわき出ていて、壷のなかのお金は、みるみるシジミに変わってしまった。
そして、このシジミは、つぎつぎとはんしょく(繁殖)し、平井川にもシジミがいるようになったという。
おわり
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