歴史・文化 平井地区(丘陵部から平野部)
山里にたたずむ歴史的建造物、受継がれる伝統芸能
西光寺の板碑 K-8
平井西本宿地区の西光寺そばの小さなお堂には数点の板碑が安置されています。その中の一つに、優美な阿弥陀三尊の早来迎図を描いた長さ1メートル程の絵像板碑があります。この板碑は紀年銘をもつ絵像板碑としては多摩川流域で最古のもので、町の文化財に指定されています。
西光寺の板碑
鹿の湯(町指定文化財) L-7
平井谷戸地区にある宝光寺の境内には、かつては多摩七湯の一つに数えられた鹿の湯の跡があります。現在はその面影を残すだけですが、かつては湯屋が建ち、多くの湯治客で賑わったと言われています。
鹿の湯 跡
八幡神社 L-8
平井の道場地区にある八幡神社では、毎年秋に大きな祭礼が執り行われます。そのお祭りは毎年9月末頃に平井の宮本にある春日神社と同じ日に行われ、町で最も賑やかなお祭りで「平井のおまつり」として親しまれています。秋の祭礼には春日神社と合わせて5基の山車が繰出し競合いを行い、八幡囃子の奏でる重松流祭り囃子は町の指定文化財されています。平将門の乱平定の勅命を受けた藤原忠文が派兵の途次に参詣したとの伝承もあります。
春日神社 L-7
平井の宮本地区にある春日神社では、毎年秋に大きな祭礼が執り行われます。そのお祭りは毎年9月末頃に平井の道場にある八幡神社と同じ日に行われ、町で最も賑やかなお祭りで「平井のおまつり」として親しまれています。秋の祭礼には国の指定文化財である「鳳凰の舞」が奉納されるほか、八幡神社と合わせて5基の山車が繰出し競合いを行います。加美町と志茂町の山車と重松流祭り囃子は町の指定文化財になっています。日本武尊が蝦夷遠征のときに立ち寄ったとの伝承もあります。
志茂町の山車(町指定文化財) L-8
平井三吉野下平井地区では毎年9月29日に近い土曜日、日曜日に行われる平井のお祭りに平井の宿通りを志茂町の山車が巡行します。江戸後期から明治前期にかけて八王子を中心に多摩地区や周辺で数多く建造された八王子様式の山車で、全体に無垢の木を基調とした品性のある装飾が施されています。明治26年(1893年)に地元の平井地区で建造され、今日まで伝承されてきた貴重な山車で、町の文化財に指定されています。
志茂町の山車
加美町の山車(町指定文化財) L-8
平井三吉野宿通地区では毎年9月29日に近い土曜日、日曜日に行われる平井のお祭りにで平井の宿通りを加美町の山車が巡行します。明治初年に砂川村三番組(現在の立川市)の山車として建造された後、昭和11年(1936年)に加美町が譲り受け再建造されたものです。漆塗りに金箔の意匠できらびやかな山車で、「ずり棒」と呼ばれる多摩地域では殆んど見られなくなった梶方式が特徴です。山車の彫刻は、江戸後期から明治初期にかけて活躍した東京本所の彫刻師、後藤徳次郎の作品で、町の文化財に指定されています。
加美町の山車
平井の重松流祭囃子(町指定文化財) L-8
平井地区で毎年9月29日に近い土曜日、日曜日に行われる平井のお祭りでは5台の山車が繰出し、それぞれで軽快なお囃子が奏でられます。宿通りを行き来する山車は、午後7時ころから通りの中ほどにある田中歯科前で5台が勢ぞろいして競り合いを始めます。中でも、春日神社に奉納される志茂町囃子保存会と加美町祭囃子振興会のお囃子、八幡神社に奉納される八幡囃子保存会のお囃子は大久野の幸神神社のお囃子と共に「重松流祭り囃子」として町の文化財に指定されています。
重松流祭り囃子は所沢出身の古谷重松(天保元年(1830年)生)が考案し、明治5~15年(1872~82年)頃に家業の藍染の行商をしながら各地に伝え歩いたといわれています。重松が行商の際に宿を取っていた平井地区では特に熱心に指導が行われ、平井地区では重松が考案した全曲が伝授されたといわれています。
平井のお祭りでの競合い
下平井の鳳凰の舞(国指定文化財) M-7
平井三吉野下平井ちくに伝承される鳳凰の舞は、国の重要無形文化財に指定されていて、宮本地区にある春日神社で毎年9月29日に近い土曜日、日曜日の祭礼で奉納されます。鳳凰の舞は江戸の要素を含む「奴の舞」と、上方の要素を含む「鳳凰の舞」の二庭で構成されています。全国的にもあまり類例のない貴重な民俗芸能で、地元の人々の手により大切に伝承されています。元々は雨乞いの舞だったのですが悪疫退散の舞としても奉納されているそうです。
鳳凰の舞
常福寺の宝篋印塔(町指定文化財) L-7
平井宮本地区の常福寺にある宝篋印塔はお経を収めた仏塔で、拝礼供養すればあらゆる罪科も消滅し極楽往生間違いなしと言われています。塔身は二重に重ねられていて、全高は5メートルあり、町の文化財に指定されています。
常福寺の宝篋印塔
妙見宮 M-7
平井谷ノ入地区にある東光院境内の小高い丘の上には関東でも珍しい韓国風の極彩色の七星殿が建っています。現在の建物は昭和62年に韓国の資材と職人によって建てられたものですが、その歴史は古く、天武天皇の時代まで遡ります。常に北の空の中心に位置する北極星を、運命をつかさど妙見菩薩として祀っています。毎年5月3日には恒例の「妙見まつり」が催され、優雅な韓国舞踊や国内では珍しい韓国舞踊農楽隊などが披露されます。
妙見宮
東光院の梵鐘(町指定文化財) M-7
平井谷ノ入地区にある東光院の梵鐘は元禄17年(1704年)に永瀬権右門尉勝之により造られたもので、菩薩像の鋳出に特徴があります。太平洋戦争の末期、不足する金属を補うために軍部は寺院に対し梵鐘等の金属の供出を命じましたが、幸いにもそれを免れ、現在では町の文化財に指定されています。
東光院の鐘楼
高札場(町指定文化財) M-7
平井谷ノ入地区の東光院の近くにある梅林の隅にある幅約3メートル、奥行き約1.8メートル、高さ約1.4メートルの玉石積みは明治初年まで高札場(現在の役場掲示場のようなもの)として使われていました。ここに高札場があるということは、かつてはここに本道が通っていたという事を意味しています。
高札場 跡
木造閻魔王坐像(都指定文化財)<保泉院> M-8
平井三吉野下平井地区の保泉院の境内にある閻魔堂に安置された木造閻魔王坐像は室町中期に仏師了戒によって造られたといわれています。像の高さは89センチメートルあり、ヒノキの寄木造で、豪快な鎌倉期彫刻の特徴をよくあらわしていて、都の文化財に指定されています。平成18年に大掛かりな修理が行われ造像当時の姿に復元されました。
保泉院の閻魔王坐像
平井地区(丘陵部から平野部)エリアマップ
※エリアマップに記載されている索引用のアルファベットと数字は、観光マップ『日の出ウォーク』に対応しています。
関連書籍
日の出町の昔ばなし
日の出町には数多くの伝説や昔話が残っていて、日の出町町史編さん委員会によって1冊の冊子にまとめられています。また、日の出町史(文化財編)にも「伝説・むかしばなし」の章にも掲載されています。昔話を片手に物語にまつわる土地を訪れてみるのはいかがでしょうか。
「日の出町の昔ばなし」と「日の出町史(文化財編)」は日の出町教育委員会で購入できます。
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